肩とか五十肩とかの話②
何故、四足動物には肩こりや四十肩・五十肩が無いのか。
それは『歩く時に前足を肩のラインから前、つまり人間でいうと上に上げなければならず、常に彼らは日常的にそれを行っている』からである。
また、四つん這いで行動をしているということは、肩甲骨に体重がかかっている、と言うことと、肩甲骨が常に動いている、と言うことである。
さて。
では我々人間はどうなのかと言うと。
日常的に、腕を上に上げることは少ない。
手を使う時、よく上げて45~50°程度なのではなかろうか。デスクでのPCのタイピング、書類書き、料理、様々な作業を上げても腕を上に上げる動作は少ない。
おそらく、精々が、棚の上の物を取る程度、もしくは洗濯物を干すとき程度ではなかろうか。
普段、使っていない筋肉は当然、衰える。
肩こりは二足歩行を獲得した我々人類の宿命のようなものである、と、様々な先生方は言うものの、しかし筋肉の衰えの一種である。
あまり良い現象でないのは当然である。
肩甲骨の動き、かたくなってないですか?腕、ちゃんとあげてますか?
なお、図がゴリラなのは、アメリカだったかカナダだったか、海外で肩の障害のあるゴリラがいた、と言う話を聞いたからである。
ただ、図のゴリラは上野動物園のゴリラさんで、特に関係は、無い。
肩こりとか四十肩・五十肩の話①
様々な諸先生が語られているが、肩の上腕二頭筋の腱がやれ損傷している、とかやれ肩甲骨の上の棘上筋という筋肉の障害であるとか、もうそんな教科書どおりな話をするのは面倒だし、ありきたりなのでしない。
実を言えば、この四十肩・五十肩は二足歩行をする我々人類のみしかならない人類特有の関節の症状である、という話である。
まず、猫や犬は四十肩・五十肩にはならないし、そんなのは見たことはない。また、人類に近いとされる動物である猿、それも類人猿にもそのようなケースは見られないのである。
下らないことを言うんじゃない、とか言われるかもしれないが、冗談で書いているわけではない。
結論から言おう。
人類は二足歩行に特化したために、腕を肩の線よりも上に上げることを日常でしなくなった、というのがその原因である。
図の猫を見ていただきたいが、四足歩行の猫は歩くときにはほら、前足を前に出さねば進めないのである。
つまり、日常的にそのように使っている。もちろん、完全な二足歩行ではない猿もそうであり、ゴリラですらナックルウォーク、つまり四つん這いで移動することが多い。
しかるに、人類が腕を上に上げるという機会は非常に日常生活では少なくなり、上げるとすれば『上の棚から物を取る時』とかそういう時ぐらいではないだろうか。
筋肉は日常的に使っていなければ衰えるものであり、二足歩行を手に入れた人類は、腕を上に上げることが少なくなり『肩こり』や、それどころか『四十肩・五十肩』になるかも知れないというリスクを得てしまった、というわけなのかもしれない。
(つづく)
へバーデン結節
『へバーデン結節』と言うのは非常に難儀な症状である。
いや、本日の患者様の症状がこの『へバーデン結節』だったから、と言うわけで。
指の先、第一関節が変形し曲がり、場合によっては固まってしまうという関節の疾患で、なにが厄介かと言えば『原因不明』というのがまた、この疾患になっている患者様をやたらと不安にさせるわけである。それに変形も嫌なものだが変形と関節が固まる前に、腫れと痛み、つまり炎症を伴うのも非常に厄介なのである。
- 指を曲げた際の炎症性の痛み
- 指に何かが当たっても痛い
- 炎症による腫れ
- 変形で指が曲がる。関節が固まる
- 水ぶくれのようなものが出る
手と言うのは使わない日など無い重要な部分で、それが痛い。動かしにくい。
・・・それは毎日が憂鬱になるどころではない。
前に患者様の声であげた方もこの症状で悩んでおられたが、医師曰く「固定すれば痛みは無くなる」と言われたらしい。
無論、確かに固まれば関節の痛みは無くなる。これは正しい。
しかし、指の先の小さい関節とは言っても動かなくなるのは生活するうえで非常に困る。
これまでの患者さんで、固まってから治療を依頼された方は様々な生活の困難を訴えてこられる。
食事の際に箸をしばしば落としてしまう。PCのキーを打ちにくい。絵を描いておられる方も筆が進まない、ギタリストの方は痛みで引けなくなった、ニットアーティストの方など作品を作るのが苦痛だ、等々。
生活から仕事、趣味まで、様々な支障が出るのである。
無論、関節が固まってから元に戻すのは不可能である。骨が癒着して骨の組織まで巻いてしまっているからだ。
故に、このへバーデン結節も早期発見早期治療が望ましいわけである。
また、このへバーデンもまた、前に書いた『外反母趾』の時のように別の部分の症状にも繋がることがある。
軽くは肩首の凝り、手首の痛み、肘関節痛、四十・五十肩、背部の広範囲な筋肉の凝りなど、やはり出る。
大事な指です。早い目に治療しましょうね。
実際に施術を受けた患者様の声を紹介②
本日は当院の往診にて施術を受けた患者様の声をご紹介させていただきます。
この方の症状は多岐に渡り、頸椎・腰椎の狭窄症、五十肩、変形性膝関節症、へバーデン結節による両親指の変形と炎症、などなどいくつかあり、現在継続して治療中です。
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Q1.いつごろからどのような症状でお困りでしたか?
40才の頃、腰、膝を痛め、骨粗鬆症にもなりましたが
その後は良くなっていましたが、80才の頃から腰、肩、
など痛くなりました。
Q2.施術を受けてどう感じましたか?
マッサージをお願いして手も少しづつ上に上げられる様に
なってきました。腰も良い方にむかっております。
肩の方も痛みも良くなって来ています。この年になって
これ以上重くならず自分の事が出来る事は
先生のマッサージのおかげと思っています。
(※原文ママ、句読点のみ追加させていただきました)
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アンケートにご協力いただきまして、誠にありがとうございます。
今後の治療の参考にさせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
外反母趾
なんか足の親指が内に入ってんのに何で外に反する母趾なのか。それに趾って漢字なんて日常生活じゃ見ないしあんまり使わない。
そんなことを私はまず思ってしまう。
いや、なんか今日は外反母趾の人が多かったので。
もちろん、それだけで患者さんは私を呼びはしない。膝とか股関節とかの痛みとか腰痛とかで呼ぶわけなのだが、そういった症状が緩和されるとやはり「別のところも・・・」と患者さんは言ってくる。
時間があれば出来るだけ見るようにはしてあげるが、幸いなことに最近は時間の余裕がある時が多い・・・ってそれは患者さんの数が少ないだけ、という気もするのだが、『今なら予約も入れやすいので京都の方どうぞお気楽お気軽にどうぞ』などと脱線している場合ではない(宣伝ノルマ達成)。
しかしこの外反母趾は、実は「別のところ」のカテゴリーにしてしまってはいけない、他の部分の症状と関連して・・・というか必然的になってしまっている側面がある。
外反母趾の原因についてはこの場合さておく。やれ靴下等を履いているため足の反射が云々、ヒールを履くから云々、遺伝的要素とか言われても痛みそのものはそこにあって、そして痛みから解放されるのを待っているのだ。故にその辺は語らない。
ここでは外反母趾が「別のところ」のカテゴリーにしてはいけない、無視してはいけない理由を書いていこうと思う。
まず、外反母趾になると歩き方がおかしくなる。何しろ痛いし関節炎で腫れているので、自然とかばうような歩行になり、歩き方に変調をきたした結果、足の親指だけでなく、足の裏も痛い、膝にも負担がかかっていつの間にか膝関節症になってそちらも痛い、半月板(よく言う膝の軟骨)も痛んだり、腰にも負担、痛いところが増えたりする。体型も崩れたり、早く動けなくなったり・・・と、思いつくだけでも沢山出てくる。若いうちはまだいいが、年齢を重ねると、転倒しやすくなるというデメリットもあります。
外反母趾は骨の変形、脱臼様のズレ、関節の石灰沈着による癒着変形などを起こしますので、重症化した場合、元の足の指の形に戻すには手術等の外科的な方法以外は難しいのです。
故に、早めの治療が望ましい、と言うわけです。
ただの足の指、と思わず、大事な歩くために重要な指であると認識して、放置しないでください。
と、言っておきましょう。
実際に施術を受けた患者様の声を紹介①
本日は当院の往診にて施術を受けた患者様の声をご紹介させていただきます。
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Q1.いつごろからどのような症状でお困りでしたか?
①4年ほど前から両手の指の第一関節が痛み、細かい作業がやりづらくなった
②3年ほど前から右手首・指がスムーズに動かなくなり、箸がうまく使えないなど、日常的に生活に影響が出てきた
③肩や肩甲骨の周囲のコリが強い
Q2.施術を受けてどう感じましたか?
①については、痛みが和らぎ動きがスムーズになり、かなり改善したことを喜んでいる
②については、脳神経の持病の症状のためのリハビリで、継続して施術していただくことで現状維持やそれ以上の効果があると感じている。施術中説明があるのが有難い
③は、コリがほぐれ楽になる、姿勢・保温など注意をして下さることで自分自身も意識できる
(※原文ママ、句読点のみ追加させていただきました)
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アンケートにご協力いただきまして、誠にありがとうございます。
今後の治療の参考にさせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
臨床のこと。
臨床とは、床に臨むと書きます。
では、その床とはいかなる床であるのか。
病の床、死の床である、と私の尊敬する先生は仰られた。治療とはその『床』に『臨む』のである、と。
とはいえ、私のような鍼灸按摩屋の床はなかなかそういう『床』には縁が無い。それはそうで重篤な患者さんというのはお医者さんが診るもの。我々の『床』は多少違うような気がします。
痛みの床、辛い床、しんどい床、という感じでしょうか。
その床が、安らぎの床となるように、痛みも辛さもない床になるようにするのが私の仕事なんではないかなぁ、と思います。
ぎっくり腰とか坐骨神経痛とか、寝違い、ただの肩こりさえ、寝れないほど辛い事もありますからね。
今日も明日も日夜、治療に励んでいきます。